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2014-11-01音楽といえば西洋音楽、この単純なこと [音楽]




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小島美子(こじまとみこ)「歌をなくした日本人」音楽之友社1981

「いまの時代を反映することができない、つまり保存されることの必要な文化財、観光客誘致のための文字通りのクラシックに成り下がった洋楽を、唯一のいい音楽であるかのように思い込みつづけている日本のエセ文化人どもも困ったものだと歎きあって長電話を終わった。」(p.39原文傍点略)
退屈な「サロメ」を観賞後、広瀬量平(作曲家)と長電話した話しであるとのこと。
小島氏は日本音楽史家(P.32)なので日本音楽の起源を探り、日本の伝統、伝承を踏まえておられ、現前の音楽現象・・教育、消費、流行・・・が西洋音楽一辺倒の人間とは違い外から見ることのできる方なのでしょう。明治以降「ヨーロッパ近代の芸術的な音楽を、あるべき唯一の音楽として日本人全部に義務教育の小学校から強引に押しつけてきた」(p.33)歴史を、文部省の「タテマエ」とも論断されています

今私たちが音楽というとそれは当然西洋音楽を指してしまうという現実、これはあまりにも初歩的な問題なのかもしれません。音楽に携わる者として小島氏の論調は、自分は日本人であること、日本という土の上にいることをいやおうなしに振り返らせてくれる警句として響きます。かといって膨大な日本音楽の遺産を今から研究することは私の能力をはるかに越え出ることです。ですから偉そうなことはいえないのですが、少なくとも自分は何者でどこを向いているのか・・・時として自問することは大切なことだと思いました。

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↓平野達也作品の試聴はこちら

平野達也作曲:「木管4重奏」(Ob.Cl.Hn.Bn.)より第1楽章(1997)(現代曲)


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